ロックンロールに眠る王たちよ

 

あの幻覚のような夜から1週間が経とうとしています。未だにあの日の残り香が私の体にはまとわりついていて、やっと音源が聴けるようになりましたが、まだアーカイブは見ることが出来ずにいます。

 

強烈なライブを目にした後に、私はよくこの感覚になります。ライブ映像は自分が見ていた、まさにその日の記録であるにもかかわらず、それを観ることで似てはいるけど少し違う色のペンキで上書きされているような、少し大きさが違うドライバーで無理やりネジを締めるような、そういう感覚を覚えてしまうのです。

もちろん、一生触れずにいるのは無理なので、結局は観てしまうけど、そうすると少しずつ少しずつ私の体に刻まれた刹那は色と形を変えていって、いつの間にか記憶が記録にすり替わっていることがよくあります。

 

11月24日は快晴でした。空には雲ひとつなく、秋らしい高い青空がずっと広がっていました。風は少し冷たいけど、お日様の暖かさを感じることができました。会場が海辺なのもあって、開放感とどこか日常とは切り離された浮遊感がありました。随分と早くなった日没が、やけに自分の心境と重なったのを覚えています。

この時期は気付いたら日が沈もうとしますから、すぐに寒い夜がやってきます。あの日、Zepp DiverCityに集まっていた全員が、これから来たる寒い冬の夜の気配から逃げられずにいたと思います。

 

世界一かっこいいTHE PINBALLSというバンドが活動を休止すると発表されたのは、まだ厚い雲が毎日空を覆っていた時期でしたね。私はこの日から11月24日までの時間をとても早く感じましたが、いつか彼らが戻って来てくれるとして、それまでの期間を今日までと同じくらいの早さで感じることができるでしょうか?季節が何度回るのでしょうか。この寒い冬を超えて春がやってきても、心に春はやって来ないんだろうな。ライブ会場が動きはじめた様子を眺めながら、私の胸はそんなくよくよした気持ちでいっぱいでした。

 

席についてからは、いよいよよく分からなくなりました。とにかく音が鳴り始めなければ終わることがないと思って、もう何も聴きたくないと喚いていました。なんのプレゼントなのか、所謂神席に着いてしまった私は、始まったら終わる、始まったら終わってしまう、どうか、このライブが始まるな、もう出てくるな、そんな事をぶつぶつと唱えていました。横にいる友達には非常に悪い事をしたと思います。ごめんね。

 

そのうちにオブリビオンアルペジオが鳴ると、目の前のスクリーンには彼らが闘ってきた(おそらく)全てのライブが映し出されはじめました。あまりに近い席にいた私は、視界に収めきらないほどいっぱいに流れていくその歴史の流れに飲み込まれそうでした。しばらくするとスクリーンの奥に人影が見えて、何百回と耳にしたイントロが聴こえてきました。

鳥肌が立ちました。

片目のウィリーでした。

 

友達が私の腕を思わず掴み、私も抜けそうになる腰をその手で支えました。

現れた4人は、それはそれは清々しい顔をしていました。幕が開いた瞬間の、古川さんの笑顔が焼き付いて離れません。顔をぐしゃぐしゃにして浮かべる笑顔が、本当に晴れやかで楽しそうで。

片目のウィリーは、おそらくTHE PINBALLSがこの15年間で最もプレイしてきた曲なのではないでしょうか。それを一曲目のあんな演出で持って来るだなんていう潔さ。これこそが私達が敬愛するTHE PINBALLSでした。

 

そこからは怒涛のように曲が進んでいきました。どんどん、どんどん、進んでいきました。何の曲が来たって体が勝手に動き出します。当たり前です。こっちはお前らの曲を死ぬほど聴いてるんです。口にしたものが私の身体、ハードな部分を使っているとしたら、私の身体のソフトの部分はTHE PINBALLSで出来ているのですから。

 

開演前、正直私はもっと泣くかなと思っていました。もう涙涙で演奏なんか見れやしないんじゃないかなって。

だけど、ステージにあったのはいつものTHE PINBALLSでした。いつもと変わらない、最高にかっこいいTHE PINBALLS。

 

私はTHE PINBALLSのライブを観ると、毎回ちょっと恐怖を覚えます。彼らはあまりにも本気すぎる。音が止まった瞬間、音と一緒にふっと消えてしまうんじゃないかと思ってしまう程の気迫。その姿は本当に命を削っているとしか思えないし、それだけ激しく火花をあげて爆発しているように見えます。観ているこっちも眼光鋭くして食らい付いていかなければ振り落とされてしまうような、体がチリチリと焦げていくような感覚を覚えるのです。

 

泣いちゃうんじゃないかなと思っていた私は、頭を強く引っ叩かれた気分になりました。「泣いてんじゃねえ!音楽を聴け!今鳴っているかっこいい音楽を楽しめ!」と、彼らの音に目を覚まされたのです。

 

更に今回は、そこからフッと力が抜けてリラックスしているような雰囲気も感じました。ギラギラと余裕が共存していて、それが何とも言えない気持ちよさで、完全にあの場所を支配していました。バンド史上最大キャパとのことでしたが、負けてなかったどころか、狭く感じるくらいでした。

 

そしてTHE PINBALLSのすごいところはこれだけじゃなくて、そんな恐ろしい勢いで奏でているのは、全てを優しく肯定するような慈悲深い曲だということです。

私は頭引っ叩かれたように感じたけど、例え号泣していたとしても、その時音楽に触れて感じたありのままの感情を受け入れてくれる優しさと強さが彼らの曲にはあると思います。

 

本当にかっこよくて、本当に強くて、本当に美しいバンドだと思いました。よくロックンロールの魔法使いだ、なんて言葉を見るけれど、本当にその通りだと思います。攻撃の魔法も、治癒の魔法も、祈りの魔法も、とびきり強力なのがTHE PINBALLSなのです。

 

私はだんだん悔しくなってきました。なんでこんな良いバンドが活動を休止するんだ?むかつく。こんなかっこいいバンドがバンドやらずに生きていくなんて絶対間違ってると。

 

「諦めて、もうダメだからって投げて辞めちゃうわけじゃない」って古川さんは言いました。「全然諦めてない」と。

私はどうして4人がこの選択をするに至ったのか、その理由を知りません。音楽的な問題だったのかもしれないし、彼らを取り巻く環境が問題だったかもしれないし、もっとプライベートなことが原因だったのかもしれません。

そしてその問題を受けて、4人にとって最善の選択が一度バンドとしての歩みを止めるということだった。誰よりもロックンロールと音楽を信じていた4人が下した決断。だから、私に悔しがれることなんて何もなくて、「おい!こんなにかっこいいんだから悩むな!バンドをやれ!」なんて言うことが出来ないということは痛いほど分かっています。ましてやバンドをやらないのは間違っているなんて事、絶対に言えたことじゃないのに。

 

だけどあまりにも勿体無いと思いました。素直にそう思ってしまいました。だってこんなにかっこいいのに!!勿体無いじゃない。

 

なんか歌ってる歌詞全部、今日のためにあったのか?って気がしてきたし。おいおい勘弁してくれよ。私は今度は寒気がしてきました。この15年間ずっとこんな気持ちで音楽をやっていたというのか?彼らがずっと口にしていた「いつも通りやるだけです」その言葉の持つ意味が、はっきりと輪郭を強くしていくのが分かりました。

 

私は趣味で歌とギターをやっています。彼らとはまるっきり次元が違うし、才能も全くないけれど、あれだけ感情が入った演奏をしようと思うと、相当なエネルギーが必要なこと、なんとなく想像がつきます。相当大きな、感情のエネルギーです。そしてそれは、私の想像し得る範囲でもあまりにしんどすぎる。私のような凡人が、人生で一度でもあんな演奏ができれば悔いがないと思うようなステージを、彼らは毎回毎回やり遂げているように見えていました。こんな事をよく15年も続けてきてくれた。だんだんそういう気持ちも生まれてきました。

 

ごめんなさい。そうなんです。振り返ってみてもライブ中は情緒が上がったり下がったりで、いろんなことを思っちゃって、今だに躁鬱状態というか、「こういう気持ちでいこう!」みたいな方向性は特に出せてなかったりします。

全部私の本当の気持ちなんですけどね。

 

私の気持ちが急上昇急降下を繰り返している間も演奏は続いていきます。

レオンハルトくらいからかな、怒涛のように強めの曲を演奏し始めてから、本当に全部置いていく気なんだと感じました。いやいや、これでもかってほどやるやん。そしたら今度は面白くなってきた。私はバトル漫画のクライマックスを思い出していました。やっと強敵を倒したと思っていたら、最強のラスボスが現れて、最後の死闘を繰り広げる様な、そんな典型的な展開を。あの日あの時、THE PINBALLSと私達は、必殺技と必殺技の応酬を交わしていました。

 

「泣くなって言われた」とか言いながら、ジョージくらいからは死ぬほど泣きました。嘘です。気を抜くと、どの曲でも泣きそうだった。だって私の毎日にあまりにも染み付いてしまっている。どの曲にも思い出が多すぎる。いろんな走馬灯が見えました。やだなぁ、もっと純粋に音楽を楽しむんじゃなかったのか?

ミリオンダラーベイビーで絶対吐くと思いました。しんどすぎて気持ち悪くなってきた。

そしたら最後の曲です、だって。ニューイングランド?音が止まったら消えて無くなってしまうのは、私の方じゃないか。

 

 

おいおい、置いていかないでくれ。頼むから、起きてくれ。眠るな。ロックンロールの王は紛れもなくお前たちだ。そうだ。だから頼む、起きてくれ。ロックンロールに眠るな。音を止めるな。起きろ、早く。

 

 

最後の優しい音の残響が消えきらぬうちに、あっさりと彼らは去っていきました。

あれ?あぁ、もしかして、終わった?私は、またよく分からない。

よく分からないままアンコールが始まりました。ワンダーソングでした。

 

実は物販に並んでいる時にネタバレ喰らってしまってかなり凹んでいたので、心の準備はできていると思ったのですが、やっぱり無理でした。あまりにも歌詞が憎い。取りこぼすことなく全ての言葉達が、今日のためにあったように感じました。全てを失くしても、全てを失くすだけだから。そうか。何度失くしたって、何度だって歩き始められる。私が願うことをやめない限り、きっとその度に心の中の魔法使いは答えてくれる。そんな気がしました。

 

そしてやっぱり彼らの音は私に「泣くな!立て!聴け!」と話しかける、というか殴りかかってくる。

この頃の私は、何に負けないのかは分からないけど、負けてたまるか、とだけ思っていました。活動休止に負けてたまるか、活動休止になってしまう世界に負けてたまるか、明日からの寂しさ虚しさに負けてたまるか。そして今、この瞬間の自分の情緒に負けてたまるか。泣いて帰るなんで絶対にごめんだ!

 

アンコールは2回ありました。最後の最後まで、THE PINBALLSは強くてかっこよくて美しくて優しかった。私はもう泣きませんでした。

 

規制退場を待つ間、ついさっきまで4人が立っていたステージをボーッと見つめていました。音が止まっても、私は消えなかった。それはTHE PINBALLSの音楽が、私の中で鳴り続けていたからでした。

 

私、見た映像があんまり覚えられないタイプで、細かい表情とか覚えていたいことはたくさんあるのに、そんなに思い出せないんです。

ただとにかく印象に残っているのが、古川さんの笑顔で。ウィリーだけじゃなくて、かなりずっと笑ってたと思う。もちろん思いっきりカッコいい厳つい顔も、セクシーな表情もあったけど、やっぱりあの満点の笑顔が焼き付いて離れないんですよね。あんな気持ち良く、あんな恐ろしく、あんな優しい歌、死ぬまでに私も一回は歌ってみたいです。

 

もう大丈夫だ!私は自分の足で強く歩いていける!THE PINBALLSにもらった希望は、勇気は消えません。私も負けたくないと思った。活動休止を目の前にしても、全力で33曲走り抜け、諦めないと、未来への大きな一歩を踏み出したあの最高のバンドに、負けたくないと思いました。

 

だけど清々しい気持ちで会場を出たはずの私は、帰りの電車の中でボロボロ泣いていました。

自分でも何故泣いてしまったのか未だによく分からないけど、言葉は頭の中でなぞるよりも口に出した方が効力があるのでしょう。友達と話していると、涙が止まらなくて、ライブ中に何度も頭の中でなぞっていた言葉達なのに、口に出した瞬間私の声が涙に形を変えて、ポロポロと溢れ出してきてしまうのでした。

 

おそらくライブ直後の今はまだマシな方で、これから段々とTHE PINBALLSが活動していないことを実感していくことになるのだと思います。そろそろライブが観たいなぁと思っても、ライブは開催されない。新譜が聴きたいなぁと思っても、新譜はリリースされない。きっと毎回寂しくなるし、溜息をついてしまうかもしれないけど、結局私はその溜息を吹き飛ばすためにまた彼らの音楽を聴くのだと思います。これまで過ごしてきた毎日と同じように。

 

たしかに、彼らにしか乾かせないものはあるけど、いつだってTHE PINBALLSという最高にロックンロールなバンドがいた事を思い出せば石づくりの山すべてに花が咲く事でしょう。

横殴りの雨の日の中を踏み出すとかっこよくなれるのも、夕方の流れゆく雲を見つめるだけで優しい気持ちになるのも、最悪な帰り道だって明日があるという事だけで素晴らしいと思えるのも、全部全部THE PINBALLSが教えてくれたからです。そしてこれからも消えることはないし、私の一部として一生お供してもらうつもりです。

 

最高のライブを観せてもらいました。だから、冬の寒さや厳しさだって跳ね返して楽しんでみせるし、また春が来たときにはきっと、春の喜びを感じることが出来ると思います。

 

たくさんの宝物をありがとう。そしてこれからもよろしく!

あわよくばまた出会いたいです。いつまでも待っています。そして、その時には私も今よりもかっこいい自分になれているように、貴方達の音楽と一緒にしなやかに生きていきます。

 

 

おやすみなさい。THE PINBALLS。